ショベルヘッド間違い探し--4--

ショベルヘッド間違い探し後期編…の最後

前回はここから。

前回は哀れなフライホイールが漬物石へと転換していった所で終わった。その続きになります。

腰下の続き

完全に続きを書いていきます。
前回ではフライホイールまでだったのでそれ以外から。

フライホイールはの変更で他にあるのはクランクピンロックナットが無くなったり、とかマジで本気の間違い探しになりそうなんで思い出すのをやめておきます。

まずカムカバーの中身から。
ピニオンギヤとカムギヤが変更された。それと同時にバックラッシュの概念が本格的に導入。
測定方法が確立され、各種ギヤの販売が開始される。
ちなみにショベルで使用されるバックラッシュ測定用のピンは0.105”、EVO用のは0.108”なんで混ぜるな注意である

このギヤ関係はピニオンとカムのワンセットで使えば77年以前のエンジンでも使用可能であるが、どっちか片側だけでの使用はできない。
変更内容はギヤ歯数の変更による直径の変化で、カムが大きく、ピニオンは小さくされた。理由はしらん。

んで、ブリーザーバルブも変更されるんだけど、これがまたむかつく変更で、対して変わらないのになぜかカムカバーとの間に入るシムを変更している。しかも恐らくだが78年と82年あたりの計2回である。

このシムどうし、真ん中の穴サイズが違うってだけなんだけど、基本的に互換性がないが見た目がそっくりなためにシム調整の際に非常にむかつくことになる。
互換性がないシムが混じりあったりしているからである。管理人の片づけ方が悪いだけだが。
とにかくこれもなんでやったかわからん変更でいい加減にしてほしい部分だ。

ミッション

ガラっと変わったのでこの年式に限ってミッションの違いを書いておく。
1936年から続いたものをここで結構捨てたりしてる。

まず78年に今までのラチェットトップからロータリートップへ変更。
そもそもなんだそりゃって感じだろうが、簡単にいうとシフトする(ギヤをチェンジする)部品の動かし方を大きく変更したと思ってください。

※追記※

ロータリートップとラチェットトップの違いについては質問もあったのでここに新たにブログを書いた参考にどーぞ

追記終わり!

この変更によるメリットは…他の狙いはあったのかもしれないが、管理人個人としてはチェーン側の出っ張りがなくなり、スプロケサイズ(主に大きい方への)制約がなくなったことぐらいだと思う。
これは大きなメリットだったが、他はなんか変なリンクがついたりしてなにが良かったのかわからん。その証拠ってわけでもないが、5速からは元の”一般的な”ミッションと同じドラム式に戻っていく。

そしてメインドライブギヤのベアリングが変更になると同時にメインドライブギヤそのもの変更、んで、スラスト方向の調整が廃止される。
これもまた面倒を引き起こしやがる元凶となる。

79年頃よりメインドライブギヤ(メンドラって訳す)のでかいシールが変更になるが、これは84年までにまた数回変更を繰り返しまくる。ずーっと使っていたシールのないが気に食わないのかわからんが、漏れ対策なら前のやつそのまま使ってくれればいいのに…
そしてメインシャフトとメンドラのシールも新しいのにしたりまた古いのにしたりと82年前後で迷走を繰り返し、最終近くなると正直どのシールをつかっていいのかわからない事態となる。
とりあえずオイル漏れがなんか直らないって場合、この小さなシールがおかしい可能性もあるので見てみよう。

他にもキックカバー内のカウンターシャフトの止め方直したりとかいろいろな改良が施されるんだけど、5速に移行する過渡期のミッションとなり、そこで採用された諸々の部品や技術は後へと継承されることがほとんどなかった。

ついでなんで、クラッチにも軽く触れておく。
クラッチは最後の最後83年後期から85年(ほんとに最後のショベル)まで今までの乾式クラッチをやめ湿式クラッチとなる。
このためこの年式のショベルはおいそれと4SP用のオープンプライマリーが組めない。
組むためにはメインシャフトの変更などの大掛かりな改修が必要となることを覚悟しておこう。
ちなみにこの湿式クラッチはまるっとそのままEVOに引き継がれ、88年まで使用される事となった。

車体回り

ココも本当にいろいろな変化があったんで、とりあえず書いておこう。

まずフロントから。
FL系の(FX、XLはちょっと前にKAYABA製から変更されてた…と思った。)フロントフォークが1949年からずーっと同じだったのを78年からようやくショーワ製へと変更し、これまた一般的なバイクと同じ構造をやっと持った。
また82年(これ、自信ないな。76年だったかも)にセルモーターも日立製に変更され、メーターとかなどと一緒にこの頃よりじわじわ日本製の部品も増えていくことになった。

ブレーキもちょこちょこ変更されていく。
伝統のバナナブレーキは78年にマウント部の変更があり、82年にはとんでも方法で動かしてたピストンをこれまた”普通”のピストンと同じような動きにするように変更。
同時にハーレー初の2potキャリパー(驚異的なデカさと重さを持つ)が登場。Rディスクも11.5”へと大径化され、それに初採用された。

Rマスターシリンダーもこの頃に伝統のインク瓶みたいなやつから普通の形した四角いやつが登場。
フロントも1970年より続いていたものを83年よりスイッチ周りを大きく変更し、その最にマスターシリンダーの形状や大きさなどを大胆に変更する。
このスイッチは車種問わず変更され、1995年までその役目を担った。

と、こんな感じで書いていたら山のように変更点があって、正直書ききれないので一旦ここでおしまいにする。
この後期ショベル、1982年にに経営体制がハーレー一族の元に戻ってきたのは有名な話であるが、その前になんとか売上をあげようとAMFも善戦していたのがわかっていただけだだろうか?
とくに1977年に発売、発表されたローライダーなるFXモデルはこの後のハーレーにおけるトップブランドとして今でもその一線を走っているのはよく分かるだろう。
不遇とされるAMFも頑張っていたんである。

つー事でショベル編終わります。
気が向いたら多分続きってか書き残しも書きます。


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